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    My Favorite Things     &   打 碁 集





 この季節は 誰も来ないが、これも天国か 
何年分もの桜の花びらの下は 歩くと弾んで ふかふかの 雲の上のよう
(大宮公園)







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わたしの好きなものたちを並べてみました。
どれもが、今のわたしの骨格を形作ってくれています。
一つ一つが、かけがえのないものたちです。

ありがとう。

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 ◇ 【 my favorite things 】 


忘れられない人生の一冊、
忘れられない競馬の一冊、

好きなジャズ 12+α、
思い出のジャズ喫茶 10+α、

好きな音楽、

好きな映画 10+α、
好きなタレント 4、

好きな詩人 10、

好きな碁打ち、将棋指し 4、
好きな相場師 3、

好きな鉱物、
好きな植物 10、

愛用している生活雑貨


強いなあという馬 10、
個人的にきれいだと思う馬 10、

血統やレースや生きざまが好きになってしまった馬、


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 ◇ 【 打 碁 集 】  ←click here  



・山田拓児プロ (三鷹道場) 2011/05/28

・日高プロ (日本棋院中野支部) 2011/11/16

・黒番3子局 (大崎囲碁クラブ) 2012/11/14

・白番向う先(コミ30目) (水道橋囲碁クラブ) 2013/03/04


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 ジャズ喫茶が 大好きで …
 ジャズ喫茶といえば、DIG、DUG、new DUG
 この階段を下りていくと、そこには・・・




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【 my favorite things 】



●忘れられない人生の一冊

日本の名詩 』小海永二編 大和書房 1965初版
40年売れたロングセラー。177人の詩人の282編の名詩が集められたアンソロジー。この初版を高校生の時に本屋で見つけてわたしの感性は人生は一変した。



●忘れられない競馬の一冊

サラブレッド、ファミリー 』 田辺一夫著・白井新平発行。 昼夜通信啓衆社 1972
白井新平さんがやってた啓衆社が血統文化の拠点だった。新平さんのご子息・白井透さんがサラブレッド血統センターで血統の仕事を引き継いで、専門紙「ケイシュウ」は売却してしまった。この本は外国の名馬の写真も多くて、写真を見ているとイメージが湧いてきた。開くだけで楽しくなるが、これは労作です。こういう本が出せればと思ったものだ。



●忘れられない文学

・筒井康隆『乗越駅の刑罰』(新潮文庫「将軍が目醒めた時」に収載されていた)。短編だが彼自身も自賛しているが、これは日本文学の傑作だ。これを読めば、太宰などばかばかしくて読めない。彼は稀に見る天才。彼に直木賞を長年与えなかった選考委員はアホの集まりだ。そもそも、どの世界でも選考委員はいい加減な人が半分以上の席を占めているが。

・松本清張

・吉行淳之介



● 好きなジャズ 12 + α

・Lee Konitz 「Real 」 褒める人は少ないがコニッツがいちばん。調布に住み始めた時のアパートが、TVのうるさい大工さんが隣にいて、あまりにうるさいから、ヘッドホンでジャズばっかり聴いていた。この曲は何百回何千回聴いたかわからない。

・Cecil Taylor 「At Newport 」 (Candid のボーナスアルバムの、たしか裏面)。明大前の「New Port」で女性の店主の人が、棚の奥から見つけてくれた。アメリカでは、もちろん単独で出たが、日本では、アメリカのレコード会社 Candid のボーナス・アルバムでしか、売られなかったと記憶している。それも、裏面でだ。「New Port」以外は、持っている人と会ったことがない。それが、わたしに言わせれば、Gigi Gryce の熱演のおかげで、セシル・テイラー (p) が控え目になったからこその最高傑作なのだ。表面と裏面は、べつの演奏者だったから、誰もこういうLPは相手にしなかったから、知らない人がほとんどだが、まとまりのない曲が多い Cecil Taylor としては凄いまとまった名演奏だ。

・Gerry Mulligan 「わたしは死にたくないのテーマ 」。Mulligan のバリトン・サックスの音には思い出があって好きだ。上京して最初の年1968の秋に、大泉学園と朝霞の間の武蔵野の雑木林が広大に無限に拡がる中の(今は家だらけ)、下宿屋の秋の武蔵野の静かな夜の思い出。思い出すだけで、しんみりする。
 武蔵野の雑木林の中では、モンクとマリガンを主に聴いていた。これは映画のテーマだが、わたしは映画狂だった。2019年、52年ぶりに、やっと YouTube で発見して、それを聴けて、感動して泣けてきた。この曲だけは、なかなか、見つけることができなかった。

・Anita O'Day 「Anita thigs the most
 「This is Anita 」 ヴォーカルならアニタ。他に思い浮かばない。

・Phill Woods 「Alive and Well in Paris 」 吉祥寺の「A&F」は名店でマスターは本も出していてうるさかった。この曲をリクエストして、わたしは上客として認められた。Phii Woods には駄作が多いが、この録音だけは欧州の名ピアニストの熱演とあいまって、凄い録音として残っている。

・Eric Dolphy 「At the 5 Spot vol.1 」 壮大な熱演。かつての有楽町のスバル街にあった「mama」で、よく聴いた。スバル街を語らないジャズの本には、1銭の価値もない。

・Thelonious Monk 「Thelonious himself 8」 「Thelonious himself 1 」 ソロ・ピアノの傑作。B面最終曲の(上の8)、ソロピアノなのに、いきなりコルトレーンのサックスが入るところが妙にステキだ。

・Sonny Rollins 「Saxophone Colossus 」 この人は破天荒な天才だ。スバル街のドーナツ盤をジューク・ボックスで聴かせる「ORO」で、ロリンズは「スローボートトゥチャイナ」などを数限りなく聴いた。

・Bud Powell 「The Genious」など晩年のヴァーヴ時代が枯れていてよい。粟村政昭氏の説に賛成。初期のうるさい曲は聴き飽きる。ああいうのを褒める自称・ジャズ狂は信用できない。

・John Coltrane 「My Favorite Things 」 高校の時に、同級の生徒会長やっていた林という男がジャズ狂で、油井正一並みの耳を持っていた。彼が、ある日、登校していくと校庭にいて、わたしに「おい、コルトレーンが死んだぞ」と驚くべき急死を告げてくれた。彼のおかげで、下北沢の弓削田荘に入り浸ることになった。

・Miles Davis 「At The Blackhawk」。 マイルスは「Walkin」「Bags Groove」など静謐な物に傑作が多いが、100回聴くと飽きる。だから、わたしはライブが好みだ。

・Charlie Parker 「Billie's Bounce 1945」。
 これのトランペットは若き日のマイルスだ。

 Cherlie Parker や Miles Davis は、これという1本がない。全人格的に凄いアーチストなので、挙げ始めたら全作品になってしまう。

12枚でというのはちょっとムリで、個人的には best 100 を選んであるが、これだと多い感じがする。Jazz は best 60くらいが、ちょうど選びやすくできている。

若い頃は、“聴き当て”を仲間でやっていた。ピアノもベースもちょっと聴いただけで誰が演奏しているか、だいたい分かった。それだけ真剣だった。曲を覚えると、ちゃんとバックのピアノとベースとドラムのリズム・セクションの音まで、セットで記憶できた。



 DIG、ママ、ふぃあてるぱうぜ
日本の best 3 ジャズ喫茶の マッチ
DIGのマッチにはLPのメモを万年筆でしていた




● 思い出のジャズ喫茶 10 + α

・「DIG 」 新宿二幸裏。ここの暗くて狭くて、すり減って角が丸くなった階段を3階まで上がっていくと会話禁止のDIGに行き着く。常連のジャズマニアでいつも込んでいた。70年前夜の頃の新宿のまさに象徴のような場所。皆、夢中で生きていた。わたしも18〜20歳の頃、通い詰める。ここのウエートレスは目を指さすとアイスコーヒー、とか注文を伝えるのもジェスチャーでやってた。行かなくなって8年くらいして、鎌倉から大船行きのバスに乗ったら(なぜ?、あの山越えのバスなんか乗ったのだろう?)、DIGのウエートレスに似た人と乗り合わせた。峠で彼女は子供を背負って降りたが、目がもう潤んでしまっていて、降りてもずっとわたしの乗ったバスを見て立っていた。やはり、あのときの…。
声出したらいけない店だから口きいたことなかった。常連というのは、そういう若い日の頃って、お互い忘れられなくて懐かしくてたまりませんねえ。熱き時代の青春、とかいうやつか。今もお元氣ですか。

・「DUG 」 移転する前は新宿紀伊国屋の裏口のすぐ隣にあった。DIGと同じ中平穂積氏の名店。dug は dig の過去形。dig した人がくつろぎに行くのが dug か? 飲めたししゃべれたし品があってステキなジャズバー。昼は喫茶だった。ここでデートできたらなあと田舎出のガキは思っていたが、念願は叶った。

・「mama 」 有楽町スバル街から、区画整理の立ち退きで新宿南口に移転。新宿は曲が1つ終わるたびに、隣のパチンコ屋の音が聞こえて、店主はめちゃくちゃ悲しそうだった。有楽町店は終戦直後に高松宮様がコーヒーを飲みにきたというのが店主の自慢。店主の好きなLPをリクエストするとその演奏者のLPを何枚も持って前に立って全員にジャズの講釈を夢中になってやり始める。わたしはあの人を尊敬している。LPのリストの好みが mama だけは他の店と全然違っていた。なぜか、突然、やめてしまったのは残念。奥さんも娘さんも店に立ってたが、皆、善い人で、開店前に行ったりすると優しくしてくれた。

・「ORO」 有楽町スバル街。ジュークボックスでドーナツ盤のジャズを聴かせるという珍しい店。今はなきスバル街はスバル座の南にあって、「猫の目」なんていう珍奇な名のパチンコ屋は当時珍しい自動台だった。ここの知る人ぞ知る突き当たりの狭い狭い路地を、体を斜めにして、日比谷の映画街のほうに すり抜けると アメリカンファーマシーの前に出られるのだ。まるで、つげ義春の世界だ。mama が込んでいるとガラガラの ORO に行ってジュークボックスに10円入れてはロリンズの「スローボート トゥー チャイナ」や「モリタート」を聴いていた。といっても、そんなに金がないので、コインを入れないと客が他にいないことが多かったから何も曲がかからず店はシンとしていた。見るに見かねて中国人(台湾?)風? の店主がコインを入れてロリンズをかけてくれたりした。ここの窓辺でスバル街の汚い路地を見ながら、いつも、まったくもってメドの立たない人生を、ぼんやり考えたりしていた。後年、銀座8丁目にリクルート本社が完成し、そこで仕事していた頃に、銀座コリドー街の奥のインターナショナル・アーケードで中華料理店をやっているのに出くわして、お互いに、ひどく驚いた。

・「スイング SWING 」 渋谷・道玄坂。のんびりした店で、構えずにいろんなジャズを聞き流していた。道玄坂百軒店にはジャズ喫茶がいっぱい並んでいた。店の変遷も多い場所で、店名を記憶している頭がごっちゃになっているが、わたしがくつろいでいたのはモダンを聴かせていた頃のスイングだったと思う。この頃のジャズ喫茶のウエートレスは人氣アルバイトで、1人募集すると30人は応募があったと言われる。だから、形容の言葉がないほど可愛い子が多かったし、女性のほうもジャズファンの男性が目当てだったのだと思う。ここのウエートレスを好きになってデートに誘い出すのに成功する。

・「さりげなく 」 神戸三ノ宮のトーアロード。品があってオーソドックスなスタイルの店。京都は個性的な店が多かったがなかなか一つに絞れなかった。関西を横切ると寄るのが楽しみだった。自分でジャズ喫茶を開くくらいジャズが好きな村上春樹は神戸の人だから、若い頃は“さりげ”(そう呼ばれていた)に何度も行ってたにちがいない。

・「ジャズ38」 金町。ちょっと変わった店で、バーみたいだが、レコードは揃っていた。わたしが行く開店時の夕方頃は、お客さんはほとんどいないので貸し切り状態だった。悦ちゃん、元氣?

・「ふぃあてるぱうぜ Viertel Pause 」 新松戸。奇数日がジャズ、偶数日がクラシック。横浜あたりから RX-7 で高速に乗ってカップルできたりとか、バブルの頃のジャズ喫茶の傑作店。名前の意味は、ドイツ語で四分休符のこと。日本のジャズ喫茶の名店を紹介する本に、ここが載ってないと何の価値もない。しかし、載ったものは見たことがない。88年に新松戸に引っ越して、すぐ北柏に通勤していた友人が紹介してくれて、92年まで週に3回、火水木、大雨でもなければ、600回弱、通い続けた。ここで、ジャズのせいで聴かなかったクラシックに、本格的にのめり込み始めた。
マスターが味にうるさくて食事も飲み物もジャズ喫茶どころのレベルではなく最高だった。カウンターで話ができたし、スピーカー(クラシックはパラゴン、ジャズは JBL)や天井・壁の板とかも凝ってて音が抜群に良かった。とくにバイオリン、チェロなどの弦楽器の響き具合が最高だった。マスター・島本正郷氏は奇人の類で、一緒に中山に何度も行ったが、競馬にもかなりうるさい論客だった。カウンターにいた吉良さん、懐かしいね、デイリーまた買ってくださいね。
(※ 本業がバブルの崩壊で苦戦して、店もパラゴンも売り払われたが、苦節20年、2015年、借金を1円残らず返済して五香で復活。「リンク」をご参照ください。)

・「A&F 」 東京都武蔵野市吉祥寺南町2-2-3 オリエンタルビル2階。リクエストすると、客と選曲で戦う、ということで有名なマスター・大西米寛氏が、これをリクエストしたのはどういうヤツだ、と、席まで顔を見にこられたこともあった。おれの選んだLPはこれだ、どうだ、とやり返してくるんです、笑。スピーカーから遠い北側の窓辺で本を読むのが好きだったが、そうすると、席まで来て、スピーカーの近くに座って、わたしの選曲を聴いてほしいと言いに来たから、わたしのジャズ聴く耳を評価されていたみたいだ。まあ、Lee konitz や Warne Marsh や Phill Woods をリクエストするわたしは本格的すぎて珍人類だったのだろう。だって、4000枚くらいLP聴いているよ。ここも2002年に閉店したらしい。悲しくてたまらない。

・「マサコ」下北沢。2009年頃までやっていた。カーペット敷いたフロアには、寝そべった客の美女たちがいるという不思議な雰囲氣の、1970年前後に、スズナリとかの演劇場が建ち始めた頃の下北沢らしい店だった。世紀末の頃だったかママが亡くなって、知人の男性がやっていたが、隣のスーパーの拡張で立ち退きになった。レコードをもらい受けて、ウェートレスのしゃんとしたかっこいい女性が、小田急の近所で店を開くという話だったが、家賃の釣り合う店がなくてダメだという話だったのは残念だった。ちょうど、小田急が高架や地下化して、下北沢駅の個性的な興趣がなくなった頃だった。その頃、一時期の盛況だった文化的な東京は幕を閉じた。(2020年に復活が成功したらしい。すばらしい。すばらしい女性だ。)

・「New Port ニューポート 」 お茶の水。お茶の水口を出て、楽器屋が並んでいた奥の狭い路地の突き当たり。2階が好きで、客が他にいないと裏の日大病院が見える窓を開けて、爽やかな風が吹く明るい窓辺に肘をもたせかけて、空を見ながらジャズを聴いていた。ジャズ喫茶は地下かビルの一室で窓がないのが普通だった。窓辺でジャズを聴けるのは、「A&F」の裏部屋(北向きだから青空は見えない)と、ここくらいだったから、妙に好きだった。

・最後は名店の多い松山か京都から選ぼうかと思ったが、明大前の「マイルス」は、1960年から60年近く、ママが店を続けたという。最後の頃は行けなかったが、調布にいた頃は明大前で途中下車が多かったし、世田谷の松原にいた頃は近くだった。ここで、Cecil Taylor の「At Newport」を聴かせてもらって、2階の店に急な階段を登って上がると、いつも、これを聴いていた。東京にジャズ喫茶は多かったが、ここ以外に、これがあるのを見つけたことがない。ツイッターでママがなくなったのを聴いたときは、古い友人をなくしたようにガックリきた。亡くなる寸前まで店をやって最期は80代だったのだろう。
四谷の「いーぐる」は近くに上智があって女学生の客が多くて上品だった。ここと中野本町の「ジニアス」は元氣にやっているらしい。いーぐるにくると Bill Evans の 「At the Montreux」を聴きたくなるが部屋の音響がピッタリそういうかんじだった。
そういえば、この頃の四谷や銀座のジャズ喫茶(1丁目の「ろーく」は名店だった)には、めちゃきれいな女性客が多かった。みんな、村上春樹の奥さんになったわけではあるまいに、今頃、どうしてるんだろう、と思う。

村上春樹は水道橋の「スイング」でウェイターのアルバイトをしながらジャズを聴き、後年、自分でジャズ喫茶を国分寺や千駄ヶ谷で開いた人だが、水道橋の店で会っているのも不思議な縁だ。北野武も新宿の「ヴィレッジヴァンガード」などの、いくつかのジャズ喫茶で働いていたが、会った記憶はない。どちらも有名だが、それほどの曲に拘る店でなかったから、2人のジャズを聴く趣味は評価できないのではないかと思っている。

・他も書くときりがない。なにしろ、ほとんどの町にジャズ喫茶があったから。ずいぶん聴いて回った。バブルの地価高騰と地上げで一氣に減った。ジャズ喫茶は意外と広いから家賃を払うとたいへんだろう。今はファストフード店が立ち並ぶがバブル以前の東京は風情があった。

神保町の「響」もよかった。響は今は湘南でやっている?という噂がある。「ふぃあてるぱうぜ」や国分寺の「ぶっきらぼう」ではレコードをいっぱい貸していただいた。白山の「映画館」は、2019年にやっていた。今もやっていると思うがマスターが映画を撮っていた人らしい。



 DIGのマッチ
ベルナール・ビュッフェの絵が描かれたDIGのマッチ箱の裏




他にも、京都「JUN」、「しぁんくれーる」、「ざっくばらん」、「8」、道頓堀「5 Spot」、大阪のキタ「ファンキー」、「Check」、桜木町「Jazz Messengers」、「ちぐさ」、「OLEO」、「Knee knee」、「Duet」、「ダウンビート」、道玄坂「Black Hawk」、「Genius」、駿河台「NARU」、「ありんこ」、西日暮里「シャルマン」、新宿「Pit Inn」、「サムライ」、「キャット」、「Village Gate」、「Village Vanguard」、「びざーる」、「タロー」、歌舞伎町「木馬」、「ロッキンチェア」、「PONY」、銀座「ろーく」、「Junk」、上野「イトウ」、目黒「アルフィー」、下北沢「シェルブール」、国立「しもん」、小金井「KEYWORK」、国分寺「Bud」、「モダン」、吉祥寺「サムタイム」、「Funky」、「Kelly」、「V」、「N」、高円寺「さんじぇるまん」、「8」、中野「シャトウ」、「ビアズレー」、大山「あんず」、大泉学園「ミスティ」、市川「ボナール」、宇都宮「近代人」、「Jank」、松山「ニューポート」、「モッキン・バード」、「Mock」、「Blue Note」
などなど。他にも、この倍以上は回った。なにしろ、渋谷の道玄坂百軒店街だけで最盛期は5つあって全部通っていた。ノートにつけてない店は覚えていない。

店よ、人よ、LPよ、みんな、ありがとう。




●好きな音楽

・ジャズ(上掲) (フュージョンとディキシーを除く)

・クラシック
 「モーツアルト、クラリネット協奏曲、K622
          (ライスター、指揮= カラヤン)
 「モーツアルト、クラリネット協奏曲、K622
      (ケル。 ベニー・グッドマンの熱演も聴く価値はある)
 「モーツアルト、交響曲40番、K550
   (わたしはクーベリックだが、誰がやっても名曲になる不思議な曲)

 「メンデルスゾーン、バイオリン協奏曲
         ( ヒラリー・ハーン、指揮= Paavo Jarvi)
 「ショパン、ノクターン第2番・中村紘子
 (中村紘子だと、少年時代の夏休みの町の女の子が弾いていたかんじがよい。
   中村はもっと良い録音があった氣がする。仲道郁代でもいいけど、
   聴きまくった懐かしさで中村とした。)


・ボサノヴァ(曲アントニオ・カルロス・ジョビン)
      「おいしい水 」(アストラッド・ジルベルト)

・カンツォーネ
      「夢みる想い 」(ジリオラ・チンクエッティ)


・外国では、「アイドルを探せ 」(LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER)
   (シルヴィ・ヴァルタン)◆これ、大戦後最高の歌。
        (歌詞は、シャルル・アズナブール)

      Yesterday 」(Paul McCartney =ビートルズ)、

      The Green Green Grass of Home 」(Joan Baez)、

      Those Were The Days 」(Mary Hopkin)、

      Yesterday Once More 」(The Carpenters)。
      Sing 」(The Carpenters)。


・日本では、眠れぬ夜は君のせい 」(MISIA)
      望郷 」(山崎ハコ)
      なごり雪 」(イルカ)

      夜が明けたら 」(浅川マキ)
      時には母のない子のように 」(カルメン・マキ)
            (作詞・寺山修司)

      遠くへ行きたい 」(ジェリー藤尾)
            (歌詞・永六輔、作曲・中村八大)
      「上を向いて歩こう 」(坂本九)
            (歌詞・永六輔、作曲・中村八大)




 青春の16mm
大林宣彦若き頃の16mm映画の新宿・蠍座の熱狂=(プログラム)
感動の溜息や、ざわめきが、今も聞こえてくるようだ





●好きな映画 10+α

映画は全部好きだ。映画監督も好きだ。俳優も好きだ。映画館も好きだ。いやいや、映画を観ていること自体が好きだ。詩と映画とジャズと競馬がなかったら、どのくらい青春に退屈しただろうか。

生まれて初めて観たのは保育園のときの「翼よ!あれが巴里の灯だ」。あの眠たくなるようなリンドバーグの機外の景色を覚えている。

10本選ぶなんてムリだと思う。若い頃に名画を漁って片っ端から名画を観た。娯楽映画なんかどうでもいいから、そのとき感動したものを選びたい。今観ると、どうかという人もいるが、そんな遊び氣分で映画を見たことはない。何十年経とうが名作は名作なのだ。こういう芸術を観る目には徹底的な自信がある。それだけ打ち込んできた。

◇ルイス・ブニュエル。「忘れられた人々」「アンダルシアの犬」など全作品。
◇フェデリコ・フェリーニ。「アマルコルド」など全作品。
◇アルフレッド・ヒチコック。「サイコ」「めまい」など全作品。

◇ジャン・リュック・ゴダール。「勝手にしやがれ」「氣狂いピエロ」「女と男のいる舗道」など、自由で映画の常識や束縛を全部外した前期作品に魅せられたが、毛沢東にかぶれてしまってからの後期の作品はまったく評価しない。

◇アンジェイ・ワイダ。「灰とダイアモンド」など初期は全部。
◇スタンリー・キューブリック。「2001年宇宙の旅」「シャイニング」など。

◇大林宣彦。「微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌、ワルツに乗って葬列の散歩道」など初期の16mm的で楽しみまくっている作品群。「あれが映画だ」と映画青年のわたしはしびれた。
◇サム・ペキンパー。「わらの犬」「戦争のはらわた」「ワイルド・バンチ」など全部いいか。

◇シドニー・ルメット。「質屋」はロッド・スタイガーの熱演も忘れられない。「十二人の怒れる男」のシナリオを読んで自分はシナリオ・ライターにはなれないと思った。
◇クリス・マルケル。「ラ・ジュテ」。大物監督というわけではないが前衛的な発想に影響を受けた。

・チェコのヤン・ニェメツ「祭りと招待客」。ポーランドのロマン・ポランスキー「水の中のナイフ」、イエジー・カワレロウィッチ「夜行列車」。フランスのアンリ・コルピ「かくも長き不在」などは、金かけない“手作り”という感じで、情熱と味があふれ出ていた。彼らのような超有名でない監督は、その人の作品群を山ほど見ることができない人たちだが、あれが映画の原点だ。

・あと、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、スティーブ・マックイーン、ミレーユ・ダルクが出演した全ての映画。
芸術的と言われることがないような彼らの作品を、新宿や池袋や三茶や二子玉の裏通りの、二番館、三番館の2本立て、3本立てで飽きるほど観た年があった。自分に存在感を自覚できなかったあの退嬰的な日々を慰めてくれた監督や俳優が懐かしい。

6年で1500本以上、ほんとうに、ありがとう。




● 好きなタレント 5

・「ピクニック」などに出演したスーザン・ストラスバーグ
マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、マーロン・ブランド、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノなどを輩出したアクターズ・スタジオの主宰者リー・ストラスバーグの娘。映画に出たのは10代だったと思うが(18歳)、「月刊プレイボーイ」に彼女が30歳?くらいのときヌードが出たが、懐かしいような哀しいような不思議な氣分だった。整形?前のソバカスだらけのあどけない10代がよかった。

・「恋するガリア」などに出演したミレーユ・ダルク
アラン・ドロンと一緒になった。

・「ザ・ピーナッツ」の伊藤ユミ(伊藤月子)
子供の頃のTV全盛時代に活躍を見ていた。

・「キャンディーズ」の藤村美樹
引退後に仕事でお会いした。5分ほどだが、二人っきりにもなったが、驚くべきことに芸能人らしさがまったくなく、お母様もご本人もふつうの人よりも全然ふつうの清楚な人だった。
春一番

・「ピンクレディー」の増田啓子
なぜか中央線の電車の中で一人で目の前に立っていた。なぜか、5秒ほど目が合った。頭に血が昇ってしまった。芸能人て何人も見たことあるが、彼女はふつうの人で感じよかった。誘っちゃえばよかったと今も悔やんでいるが、そのときは驚いてそれどころではなかった。なぜ、人生の岐路は、予告もなく突然訪れるのだろう。
UFO

 キャンディーズとピンクレディーの時代は、わたしにとっては、5年勤めたアルバイトをやめた半年後から始まり、別のアルバイトをやりながら大学を卒業し、競馬専門紙に就職して転職を繰り返し、やっと大手編集プロダクションに入り込み、マガジンハウスの看板雑誌のレギュラー・メンバーとなった翌月に解散して終わった。
 それは、ある意味、戦後団塊の70年世代のデモ・紛争の世界→社会復帰→就職や結婚というステージの急激な変化に対する応援歌でもあったかもしれない。当時は熱狂的なファンというわけではなかったが、思い出すたびに、好感を抱いている。熱狂的ファンでもないわれわれにとって、女神のような存在で、悪口言う人を聞いたことがない。ああ、なんという時代、あったんだなあ。




●好きな詩人 10

・萩原朔太郎 最初に挙げるのはこの人で迷わない。「月に吠える」は15歳のわたしにとって衝撃だった。
・宮沢賢治 このあたりは誰が見てもそうだろう。

・中原中也
・石川啄木

・八木重吉 八木をちゃんと読んでいる人はなぜか少ない。わたしは好きだ。
・田中冬二 この人は10人には入れてはいけないのだと思う。でも、高校の最初の頃好きだったから入れてしまうことにした。

・北園克衛
・安西冬衛 この2人の前衛が、かなり好きだ。

・吉本隆明 荒地派は、全体に評価している。
・鮎川信夫 未完成?な作品が多いのも評価を下げる理由にはならない。

「(略)/みんなが町で暮したり/一日あそんでゐるときに/おまへはひとりであの石原の草を刈る/そのさびしさでおまへは音をつくるのだ/多くの侮辱や窮乏の/それらを噛んで歌ふのだ/(略)」
宮沢賢治「告別」より。




● 好きな碁打ち、将棋指し 4

・藤沢秀行
・武宮正樹
・趙治勲

・羽生善治




● 好きな相場師 3

・ジム・ロジャース
・ピーター・リンチ
・是川銀蔵




● 好きな鉱物

・クオーツ
・シトリン・クォーツ
・ルチルやファントムや他の鉱物が入ったクオーツ

・オレンジ・スファレライトに角度によって緑の光の出るもの
・タンザナイト
・クリアかイエローかブラウンのダイアモンド

・ブルーとグリーンとパープルとクリアのマルチカラー・フローライト
・フェナサイト
・サンストーン・アイオライト

 これら、鉱物は美しくないと収集の意味がない。絶対に透明度がないといけない。透明度があって、輝きがあって、多色性のものが好きだ。
 蒐集家には、大中小と3サイズのグループがある。わたしは中サイズ専門だ(石というのは、あたりまえの話だけど小さい物ほど美しい)。
 原石派と角を丸くした加工派がいるがわたしは加工派だ(ヒスイの原石などどうするんだと言いたい)。
 透明なものと不透明なものとに別れるが、わたしは透明派だ。

 そういう鉱物の、中サイズの、加工された石の、美石の、なるべく多色で透明度があるジャンルの日本一のコレクターになろうとしていた。でも、新興宗教?と勘違いする 文化が好きでない人が多くて、収集やめて、ほとんど捨ててしまった。 そう、コレクターにとっては鉱物はりっぱな文化なのですよ。




 花よ!



● 好きな植物 10

・椎(しい)
・桜の老木

・プラタナスの大木
 (アメリカ原産より、西アジア原産のほうが見た目や手触りがよい)
・イチョウ

・桐の木
・梅

・ピンクのスターチス
・チューリップ

・デルフィニウム
・白いトルコききょう




● 愛用している生活雑貨

シャンプー(ボディソープで洗う)、リンス(なし)、ボディソープ(石けん成分のみ・合成界面活性剤なし)、手洗い・うがい(水のみ)、洗濯槽クリーナー(日立洗濯槽クリーナーSK-1、効果一発)、タオル(竹繊維、竹に抗菌効果あり)、手ぬぐい(麻か、年始挨拶用の超薄120匁)、洗浄クレイ(ガスール、パリでセレブに人氣、化学成分は当然ゼロ)、ヘアブラシ(竹ピンブラシのサンエア、天然の竹で静電氣とかおかしなことなし)、ヘアクリーム(SUNSTAR・VO5ブルーコンディショナー少量、白髪隠し効果)、歯ブラシ(SUNSTAR・GUM #166M)、歯磨き粉(自作=重曹+海塩)、枕(自作、横長棒状。60×120cmのバスタオルを丸めで、幅広輪ゴムで止めて、64×43cmの枕カバーで包む)、鞄(genten、品がある)、帽子(grace、麻か麻綿、デザイン力)、ジャケット(麻か麻綿)、腕時計(YUNGHANS、チタンは渋い)、電氣スタンド(バイオライト、交流直流変換で朝日の光を実現)、オイルヒーター(PHILLIPS、無音無風で給油もしない)、シェーバー(PHILLIPS HQ6090/A、とことん壊れない)、空氣清浄機(ダイキン・抗菌抗ウイルス・脱臭)、エアコン(日立、カラッと除湿。冷風完全ゼロで除湿)、冷蔵庫(ペルチェ式電子冷蔵庫・ほぼ無音。無印良品)、カーボンファイバー超軽量折畳み傘 UVION SELECT 直径85cm (東レ、世界最軽量109g)、モバイルPC(自作改造、WindowsCE でなくDOS で boot)、衣装ケース・収納ケース(無印良品)、色紙・厚紙類(LoFt)、GABA、重曹(弱アルカリ効果、抗真菌剤、清掃)、タウリン(恒常性維持機能、脳や網膜や心臓を中心にすべての細胞に存在する)、麻の実油(γリノレン酸)、ピーナッツオイル(レスベラロトロール=抗ガン、抗血栓)、プロポリス(林原生物科学研の水溶性プロフィーラ・抗菌)、アルタンノロエース(ノロなどウイルス死滅効果)、洗剤(海へ+重曹orクエン酸、柔軟剤とか不要・肌に悪影響もなし)、風邪薬(クラシエ銀翹散、一服で著効。葛根湯・冷えの初期のみ。麦門冬湯・空咳や心肺)、SBパクチー(重金属デトックス)、ブルーライト遮光レンズ(飛蚊症がアッサリ消えた)、ぶどうジュース(毒素排出、ダイエット)、ゼラチン(タンパク質、ビタミン強化)、箸(本紫檀 Indian Rosewood=すり漆)、納豆のタレを捨てて入れるもの(パクチー、ニンニク、大根下ろし、バジル、タイム、パセリ、アボカドオイルなど)など、研究し選別し愛用している生活雑貨がほとんど全部他人と違う。


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 カミノテシオ
ハイセイコーを負かすはずだったダービーを除外になって、
古馬になって天皇賞を勝ったカミノテシオ。




■ 強いなあという馬 10

ハクチカラ、シンザン、タケシバオー、スピードシンボリ、タニノムーティエ、テスコガビー、マルゼンスキー、シンボリルドルフ、アグネスタキオン、ディープインパクト




■ 個人的に きれいだと思う馬 10

イクイノックス、タマミ、コーネルランサー、シンザン、キーストン、テンポイント、マスミノル、サイレンススズカ、サクラユタカオー、テスコガビー



 ムーティエ
ダービーを勝つタニノムーティエ。2着はダテテンリュウ。





■ 血統やレースや生きざまが好きになってしまった馬 411

アイアムネオ、アイオーユー、アイノクレスピン、アイフル、アウクソー、アヴェンチュラ、アグネスタキオン、アサカラキング、アサクサデンエン、アサヒジュピター、アサヒライジング、アスコリピチェーノ、アスタールビー、アチーブスター、アドマイヤグルーヴ、アドマイヤコジーン、アドマイヤデウス、アドマイヤベガ、アドマイヤマーズ、アドマイヤミヤビ、アドマイヤムーン、アドミラブル、アドラーブル、アプリコットフィズ、アルバート、アルフレード、アローバンガード、アン、アンバーシャダイ、アンブロワーズ、アンライバルド、アーバニティ、アーバンシック、アーモンドアイ、

イクイノックス、イシノアラシ、イシノヒカル、イットー、イナボレス、インティライミ、

ヴァンケドミンゴ、ウイングレット、ウインプリメーラ、ウエスタンダッシュ、ウェルディ、ヴェルデグリーン、ヴェルトライゼンデ、ウオッカ、ウシュバテソーロ、

エアグルーヴ、エアジハード、エアメサイア、エイジアンウインズ、エイティトウショウ、エタリオウ、エピセアローム、エフフォーリア、エリモジョージ、エルコンドルパサー、エーシンウェズン、エーシンリジル、

オウケンブルースリ、オサイチジョージ、オペックホース、オペラブラーボ、オメガパフューム、オルフェーヴル、オウケンブルースリ、オーシャンブルー、オーソリティ、オーバーレインボー、

ガイヤースヴェルト、ガクエンツービート、カジノドライヴ、カシュウチカラ、カデナ、カナイオー、カネヒムロ、カネミカサ、カネミノブ、カフェファラオ、カフジテイク、カミノスミレ、カミノテシオ、カラクレナイ、ガンコ、ガンダーラ、カンファーベスト、

キシュウローレル、キズナ、キタウイング、キャットコイン、キャメロット、ギャロップ、キョウエイストーム、ギルデッドミラー、キンシャサノキセキ、キーストン、

クインズエルサ、クイーンズリング、クラレント、グランアレグリア、クリケント、クリプトグラム、グリーンカップ、

ケイアイエレガント、ケイアイノーテック、ケープポイント、

コウジョウ、ココナッツパンチ、コスモバルク、ゴッドファーザー、コンバスチョン、ゴータイミング、コーネルランサー、コーヨー、コーヨーチカラ、ゴールデンジャック、ゴールデンリボー、ゴールドアクター、ゴールドイーグル、

サクラゴッド、サクラセダン、サクラチトセオー、サクラプレジデント、サクラユタカオー、サトノワルキューレ、サトノレイナス、サニーワールド、サリエラ、サルノキング、サンライズジェガー、サートゥルナーリア、

システィーナ、ジャズ、シャダイアイバー、ジャックドール、シャドウアプローチ、ジャリスコライト、ジャングルポケット、シャンデリー、ショウナンタキオン、ジョワドヴィーヴル、シリウスシンボリ、シルクメビウス、シルポート、ジンデン、シンブラウン、シンモエダケ、シービークロス、

スインホウシュウ、スウィープフィート、スカイキャンバス、スカイディグニティ、スガノホマレ、スズガーベラ、ステファノス、ステラウインド、ステルヴィオ、ステージチャンプ、ステートジャガー、ストレイトガール、スピーデーワンダー、スピードシンザン、スピルバーグ、スペシャルウィーク、スワーヴリチャード、

セクレファスター、ゼノンブイ、セリフォス、

ソウルスターリング、ソウルラッシュ、ソロナオール、ソールオリエンス、

ダイアナソロン、タイガーボーイ、ダイタクリーヴァ、タイテエム、ダイナアクトレス、タカツバキ、タケクマヒカル、タケデンバード、タケノコマヨシ、タケノベルベット、タッチウッド、タツゴウゲキ、ダテテンリュウ、ダテハクタカ、タニノギムレット、タニノチカラ、タニノムーティエ、ダノンキングリー、ダノンプラチナ、タマミ、ダンスインザムード、ダンスディレクター、ダンスパートナー、ダンツシアトル、ダークシャドウ、

チョウセイ、

ツルマルツヨシ、

デアリングタクト、テイエムイナズマ、ディアデラノビア、ディアデラマドレ、ディアドラ、ディサイファ、デウスウルト、テスコガビー、デニムアンドルビー、テュデナムキング、テンメイ、

トウショウゴッド、トウショウナイト、トウフクセダン、トウメイ、ドゥラメンテ、ドゥレッツァ、ドゥーラ、ドクタースパート、トライアンフマーチ、トランセンド、トロヴァトーレ、トロットサンダー、トロットスター、ドロッポロード、トレンタム、トーヨーアサヒ、

ナイスネイチャ、ナカミサファイヤ、ナナオ、ナナヨーウイング、ナミュール、ナムラクレア、ナルシスノワール、

ニシケンモノノフ、ニットウチドリ、ニッポーキング、

ヌーヴォレコルト、

ネーハイシーザー、ネロ、

ノースガスト、ノースフライト、ノーブルロジャー、ノームコア、

パイオニアバイオ、ハギノピリナ、ハクホオショウ、バスター、ハツシバオー、バトルメント、パッシングゴール、ハッピーウォーリア、バビロニアン、パフォーマプロミス、ハマノパレード、バンデ、バンブーキャッチャ、バンブービギン、

ヒカリデュール、ヒカルイマイ、ヒカルジンデン、ピクシーナイト、ヒシイグアス、ビッグディザイアー、ヒットザターゲット、

ファインチョイス、ファインニードル、ファインルージュ、ファンディーナ、ファントムシーフ、フイニイ、フィエロ、フイドール、ブエナビスタ、フェスティブキング、フェデラリスト、フェノーメノ、フォージング、フジノハイハット、ブトンドール、ブラックスキー、ブラックバトー、ブラボースキー、プランジャー、プリモシーン、ブルスイショー、フルーキー、プレサージュリフト、プレシャスカフェ、ブロケード、ブロードストリート、フルーキー、ブルーマックス、ブレイディヴェーグ、フローテーション、

ベラジオオペラ、ベルゲンクライ、ベルシャザール、ベルワイド、ベルーフ、

ホエールキャプチャ、ホオキパウェーブ、ホクトベガ、ホクトボーイ、ポタジェ、ホッカイダイヤ、ホワイトフォンテン、ホーワポート、

マイシンザン、マイネルキッツ、マイネルファルケ、マウレア、マジェスティハーツ、マスミノル、マックスビューティ、マヤノトップガン、マリアライト、マルテ、マンハッタンカフェ、マーチス、

ミスカブラヤ、ミスキャスト、ミスホープシロー、ミッキークイーン、ミッキーロケット、

ムツミシゲル、

メイジガルボ、メイショウトウコン、メイワパッサー、メグロモガミ、メジロエニフ、メジロカーラ、メジロタイヨウ、メジロデュレン、メジロトンキニーズ、メジロドーベル、メジロハイネ、メジロパーマー、メジロファントム、メジロブライト、メジロマックイーン、メジロモンスニー、メジロモントレー、メジロルーベンス、

モデルスポート、モルドウ、モーニン、モーリス、

ヤマニンウエーブ、ヤマニンエルブ、

ユウセンショウ、ユウミロク、ユキフクオー、ユーバーレーベン、ユールシンギング、

ヨネリュウ、

ライスシャワー、ライトワールド、ライラックポイント、ラヴェル、ラヴケリー、ラヴズオンリーユー、ラガーレグルス、ラグビーカイザー、ラグビーボール、ラズベリームース、ラズモフスキー、ラッキーライラック、ラッキールーラ、ラファール、ラフォンテース、ランド、ランドジャガー、ランドプリンス、ランブリングアレー、

リアルバースデー、リオンディーズ、リクダイニチ、リニアクイン、リュウフォーレル、リュウフブキ、リンドタイヨー、リンネルンド、リーゼングロス、

ルビーカサブランカ、ルフトシュトローム、

レアリスタ、レイデオロ、レクレドール、レッツゴードンキ、レッドアヴァンセ、レッドディザイア、レッドファルクス、

ロイヤルコスマー、ロジハービン、ロッカフェスタ、ロッキライン(外国の血統表サイトでは rocky line)、ロッキータイガー、ロングレザー、ロンザラス、ローシャムパーク、ローズバド、ローブティサージュ、ローマンレジェンド、

ワイルドモア、ワイルドラズベリー、ワグネリアン、ワンダフルタウン、ワーザー、


etc..


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 宇 宙 流  わたしの黒番2子局。次の手は白の番。こういう雄大な布石が好きだが、相手が強いと右下に打ち込んできて乱戦になり逆転負けというケースが多いんだわ。とほほ。



               ●○


碁は高2で同級生の法学者になった矢野達雄君と始めて15局くらい打って初段になり、
20歳の頃、2年ときどき打って(初段)、血統をやり始めたら休止し、
36歳で仕事仲間が碁会所を狛江で始めたので、嬉しいやら哀しいやら、サクラ兼手伝いで小田急梅ヶ丘から通ってました(3段)。2年やって新松戸に引っ越して株のバブルの崩壊の大相場になったので、再び休止。
59歳でまた再開しました(2段から1年で5段まで勝ち上がり)。

プロフェッショナルな人が好きなので、指導碁をプロに打ってもらうのが好きで、
20歳(初段)で調布の隣の布田駅前の碁会所で○○九段(夭折した先生で、今名前が思い出せない)に井目で負け。
36歳で上村邦夫九段に8目で負け。
37歳から38歳まで、狛江の碁会所で森川正夫五段に、6子→5子と13局打って、初段から3段に鍛えてもらう。この人が最初の師匠だ。神戸生まれのしゃれた粋なおじいさんだった。偶然、碁会所の裏に住んでいたのであった。顔覗かせてはお茶飲んで帰るという森川先生としばしば打ってもらって、家に帰って書き遺した全局の棋譜を12年の引越で捨ててしまった。3勝できた。森川先生、ありがとうございます。感謝しきれないくらいです。

60歳で碁をまた再開し、力が2段に落ちていたのを、三鷹道場で山田拓自8段に5勝7敗。日本棋院中野支部で日高敏之8段に2勝17敗と、鍛えてもらって、点数制の碁会所で1年に45点上げるという勝率9割強の快進撃で5段になる。62歳は打つ数が減って、半目弱くなっている(笑)。

おそらく、本氣で棋譜を並べて、本を読んで勉強したら、7段(アマ碁会所7段)にまでは簡単にいける自信がある。その先はどうかなあ?


※ 棋譜は、電車に乗って家に帰って、シャワー浴びて飯食ってから棋譜をとる。他の人みたいに対局中に記録などしたら注意散漫になるでしょ。だから、3時間くらい経ってから思い出そうとするから、どうしても、棋譜の書き間違いが多いのはご勘弁を。

37歳頃に森川先生の指導碁を受けていた頃は、何時間経っても、200手までは正確に記憶できていた。高校時代はマラソンの時間に走りながら空将棋を終局まで差せたし、年齢とともに認識は深まるが、記憶力は落ちていく。



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 【 打 碁 集 】   


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・2011/05/28  山田拓児プロ 5子  ○中押し勝ち
(三鷹道場)


三鷹道場の山田先生は、さっぱりと教えてくださった。そういう指導碁の流儀だった。基本形をいっぱい学んだ。

三鷹道場の席亭の根岸さんが、すばらしい碁打ちで、笠さんの碁は緩まないからおもしろいと、可愛がってもらって、指導碁にもずいぶん通った。指導碁を月に2回やってと要望して何度も叶えてもくださった。席亭は若い頃から他の仕事の経験がないそうで、碁会所席亭一筋で生きた人間文化財のような人だった。家族に恵まれなかったのでわたしと話が合って、いつも愚痴ったり慰め合ったりしたものだ。碁が好きで性格が素直で、すばらしい人だった。それが自殺だって!? なんでや? 惜しい人を失った。

この碁はプロの石はとれないというのが常識ですが、右下のプロの石を取って中押し勝ちした珍しい一局です。黒18が会心の一手です。黒92も左を忙しくして、黒94を先手で打とうという駆け引きで、巧いこと成功しました。福島の原発の爆発2ヶ月半後で、震災の翌日の指導碁も小さな石を取って勝てた。相手は震災帰宅で寝不足だったようだが。三鷹道場で、プロと打ってアマ強豪と打って徹底的に鍛えられて、いちばん強くなれた日々だった。だから、記憶に残っている。

プロの大石を取ったので、席亭は大喜びだったが、プロの指導碁を月に2回に増やしてから、すぐ、数週間後にお亡くなりになってしまった。合掌。






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・2011/11/16  日高プロ 6子  ●中押し負け
(日本棋院中野支部)


中野のプロは絶対に勝とうとしてくる。1目の違いも、「なんでこうなの、1目損じゃない」と問い詰めてくる。そういう流儀だった。「しびれたなあ」とか、ブツブツ言いながら真剣に読んでくる。

プロが本氣になったら、たとえ5面打ちでも、最後の最後は寄せられて、どうやっても勝てない。10回やって1回しか勝てない。何子置いても同じこと。

この先生には2年で2勝14敗だが、1回目に勝ったのは40目の天下コウを抜いてコウ立てよりもわずかに大きく、7目勝ち。2回目に勝ったのは、攻めどりの1手寄せコウに持ち込んで、コウ立てで儲けて、締め付けも利いて、たった3目勝ち。この先生にはコウでエイヤッと一氣に決めるしか勝ち目はない。でないと、ずるずる寄せられる。

この碁は黒74が逸機で、矢印のところに打てば負けようがない会心作だったとの講評をいただいた。でも、中央で無用な攻め合いを延々やって、終いには、ひっくり返された 。

その図もお見せできれば壮絶でおもしろいのだが、30代は家に帰って風呂浴びてメシ食って180手くらいまでは、2局は並べられたが、最近は脳が劣化してきて1局まで120手前後がやっとだわ。とほほ、なのよね。





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・2012/11/14  黒番3子局  ○中押し勝ち
(大崎囲碁クラブ)


大崎囲碁クラブは席料が世間相場の半値の500円。週に3日だけやるという理科大(物理学校)出の席亭が、きれいな物理法則のような碁を打つ方。碁以外のことは、ちんぷんかんぷんという、へんな人だが。

わたしが3子置いて黒2が天元です。初手天元はわたしの好きな戦法です。

右下の定石化した応手を、最近打ってない形なのでポカで間違えて、大きな攻め合いになってしまう。白も寄せコウにしなかったので?、黒が1手勝ち。ラッキーだった。
ところどころ、記憶違いがあると思いますが(143〜149なども手順や形が怪しい、146のところはこんなに黒は厚くないですね。148のところは黒はもっと厚く、左の白石も目の心配はなかったです。150手まで並べると最近は定かではなくなってきた、とほほ)、でも、142までは、だいたいこんな棋譜です。

150と食いついて、中原の黒の厚みを生かせた。わたしらしい碁といえるので、掲載しました。攻め続けて中央に13目くらい作る、こういう碁が多いです。あるいは、攻めるような守るような、わけの分からない雰囲氣にして逃げ切るか、どちらかです。






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・2013/03/04  永松8段 向う先(逆コミ30目) ○15目勝ち
(水道橋囲碁クラブ)



●注● 97が抜けてます。

水道橋囲碁クラブは東京中から囲碁マニアが集まってくる。ここの永松憲一さんは、でじたる書房から囲碁の本も出している。天元打ちを教わった先輩だ。彼が苦心している黒番新布石の研究相手に、逆にわたしが白を持って、強い人なので30目コミをもらって挑む。

途中、運良く運び、盤面で15目負け、コミ入れて数えて15目余して勝つ。

わたしとしては、下辺左の黒を形を決めたので、下辺の白は用済みと見て、下辺右下と振り変わったのが棋理にかなっていると思う。
その一度捨てた下辺を126のアテコミで復活したのが自慢で、ダメ詰まりを利用しての先手の取り合い。

左上は、11の左に早く付けておけば、黒からの出切りがなく完勝だった。その手だけ悔やまれる。

左辺は77のところは、挟み付けて渡る、など妙手を連発してヘタの我ながら会心だった。

こちらが難しい局面で熟考しないといけないと、さっそくキャンディーのプラスチックの包み紙を丸めたり、カサカサ音を立て始めるのはイヤミったらしく、こちらはいつも1局で10目は損をしたと思う。ああいうことをやらなければ、この人は、ふつうの碁打ちだったのに。

他にも、品性下劣なことを一生懸命やる人がいるのには呆れた。上場企業ではない人たちは、キチンと礼儀正しく打っていたのはなんなのだろう。趣味をたしなむのにも、人間性は必要だろう。


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ステキな碁会所を2つ挙げれば、阿佐谷囲碁クラブ(2012年まで通った)と、今はなき千鳥町の「ねこのかお」(2016年頃)だった。両方とも席亭の碁に対する真摯な態度が忘れられない。前者も、どこかで本筋の碁の勉強をしていたらしく、後者は緑星学園卒で本格的な碁を打つ人が師範をしていた。緑星出ただけあって、りっぱな人格と碁の打ちっぷりで、いつも感心した。

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