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   法 律 D B  な ど の  校 正





 澄み切っている
 (相模湖)海や湖が好きだ。古来から 海は湛えられた叡智を意味する。




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  以前は、こういうページはなく、血統・競馬関係ばかりだった。
   家で独り者が仕事していると、仕事してない遊び人に見えるらしい
   から、こういう、しょうもないページも作ることにした。
    でないと、校正の仕事していますと、いくら言っても、嘘つき呼
   ばわりされるから。りっぱな人でも検索とかして、そうなるんです
   わ。「わしバクチはしない!!」とかね。なんでやねん、本業の仕
   事が2つあっても3つあってもいいじゃないの。いちおう、相場張
   っているの入れると3つです。時間配分は例えば水曜だと・・・、
   なんて細かく説明していると日が暮れます


わたしの金銭的な生業は、むかしから編集(ほとんど校閲・校正)の仕事です。クリエイティブな血統の研究は20代から本業の仕事の合間にやってきました。

20代に何度か転職をして、主として中医学や東洋医学の本で有名だった刊々堂出版社(青木さんという出版の達人がやっていたが惜しいことに後年倒産する)などの仕事を手伝っているうちに、編集プロダクションに紹介してもらって入ることになった。

ここは、長年、駿河台にあった(バブルの地上げで秋葉原に移った)日本でいちばん古くて大きな、プライス・リーダーの編集プロダクションだった。

21世紀にできた人材派遣業とは違って、通訳やデザイナーなどのような請負業だった。文学青年崩れや左翼崩れの人生レールから落ちこぼれた者たちの再結集の場で、まるでお花畑のように癖の少ない桃源郷に近かった。それが、70年代末からバブルの頃まで(主に雑誌黄金時代)続いた。一時は、勝目梓や村上春樹もいたという。

主に校閲が仕事で、80年から86年まで、77種類の出版物の校閲を経験する。これだけ多種にわたる校閲経験者は、わたしと聚珍社へ移った大野氏くらいだろうと自負している(その後、媒体数を更新する人が増えてきた)。

最初が「東京新聞」。宝くじの当選番号表を、「1回だけ見ればいいんでしょ」と言って、初日だけで職場追放されるという、例がないほどの、もの凄いスタートを切った。競馬新聞社にいたから、宝くじの当選番号表なんか、2回も見るのはアホだと思っていたが、まったく理解されなかった(笑)。

次が「日刊ゲンダイ」。それからリクルート社、マガジンハウス、日刊スポーツ、東洋経済新報社、国立公文書館を主に携わった。

原稿とゲラ刷りを一字一句突き合わせる、校正技術の全盛期は33歳時で、 某スポーツ新聞の北海道版の広告のない面(ノーズロという)を6時間に6面、6万字以上(それも、競馬(馬柱も含む)、野球など、いちばん校正が難しい数字と固有名詞の面ばかり)、初校から完全ノーミスで、毎日やれた。2年間、春から秋まで北海道の中央競馬、道営競馬、ばんえい競馬や、高校野球やノンプロ野球が重なって賑わう期間、続けたが、初校から1字も見落としをしたことがない。パーフェクトだった。この仕事を全部のゲラの突き合わせをしてパーフェクトでやれて時間が余る職人は、当時で日本で10人くらいだった。

チームのリーダーとなって、その出版物の特性を瞬時に把握して適切なマニュアルを即座に作ったり、全体の進行や、メンバー個々の能力・適性を把握して、細かい指示もやりながら、自分でも校正する“チーフ”の仕事が得意で、日刊スポーツ北海道版、東洋経済の就職四季報女子版、athomeの不動産チラシ、リクルートの週刊住宅情報巻末特集などのチーフもやる。

チーフでないけれど最初にレギュラー・メンバーになったのは、現マガジンハウス社の看板雑誌だった「週刊平凡」でした。いちばん技術的に難しい仕事は、6時間で6面やらされる日刊スポーツ北海道版(だから、ばんえいに詳しい)と、梵字のお経(苦笑)の校正をする「今月のお寺」だった。いちばん簡単で楽しい仕事は、東洋経済の「会社四季報」だった。いちばんやりたくない仕事は、主婦の友社の「園芸ガイド」だった。弟が連載コラムを書いていたから(校正ミスやったらと思うとハラハラした)。



 判例集の校正


1986年夏に、一部上場企業様から、● LEX/DBという法律データベース ● (2020年から、TKCローライブラリーとサイト名を改名)の校閲を依頼されて請け負い、その校正チームのチーフ・マネジメント兼自分でも校正をやる。LEXはラテン語で法律のことだったかな。1986年夏のことだった。当時は、朝の6時からだろうが(日刊ゲンダイとか)、朝の3時までだろうが(マガジンハウスはほとんど)、出版社の編集部や大日本印刷の出張校正室に出かけて、時間の不規則な生活をしながら出張校正をするのが、校閲を主とする編集プロダクションの仕事の仕方だった。それを在宅校正しろという方法は、時代的にほとんど前例がなく、正直ショックだった。この世界でめちゃくちゃ多い夜間割り増しがないから、出来高払い分の収入は減るし、独りで延々と校正をやるから、家でやろうが図書館に行こうが喫茶店でやろうが集中力が付かない。中身は裁判の判決全文、いわゆる判例集で、それをデジタル化してCD−ROMに入れ、インターネットが普及してからはネットで弁護士や大学や企業の法務部といった会員様に提供するという先端ビジネスだった。

最初はパンチャーが入力していたから赤字だらけ、そのうちOCR技術の進歩で逆に赤字が激減と、天地がひっくり返るような進行だった。その校正チームのチーフを86年から、やらせていただいた。最初は明治の大審院時代から大量に入力していったから、ゲラ刷りを22人のチームで校正することから始まって、たいへんなチーム編成だった。ヴィルヘルム・ライヒやフロイト関係の翻訳家・平田武靖さんも長年のチーム・メンバーだった。

思うに、編集プロダクションの仕事の割り振りを決める専務が大きな人物で、家で仕事すれば、血統の仕事もできるだろうという深謀だったのだろう。ありがたいことだと、やり始めて4年してから氣付いて感謝した。でも、初期はゲラ刷りが出たり返却のたびに、都内に出かけていって、ずいぶん効率の悪い日々だった。その後は宅急便で出も返却も行なえるようになり、その後は、必要な書類はpdfにして、オンラインストレージやメールで大量でも瞬時に送れるようになり便利になった。

2000年3月の、◆ 最高裁判所ホームページの重要判例集 ◆ の請負いは、納期が厳しくて、量が多すぎて、いくら東京一の編集プロダクションでも人が足りず、業界2強の競争相手で、両社間で職場の取り合いなどで裁判闘争やったりしていた相手側の会社を訪ねて交渉して願いを聞いてもらい、30人ばかり優秀な人を借りて、延べ50人で片付けたのが、いちばん忘れられない仕事だ。わたしも36時間連続徹夜で仕事したし、1人は倒れてしまった壮絶な仕事だった。仲の悪い競争相手のライバル会社に人を借りに行くなんてことを思い付き、実行し、それが可能なチーフ・マネジャー(ディレクター)は、平和主義者のわたしくらいなものだろう。

あのときのライバル会社の役員の皆さん、ありがとうございます。いつまでもお元氣で。



 夏は来ぬ
 江ノ電から、海が見えそうな駅で、ふらりと降りて、波の音を聞いている。
 30代は小田原の海岸によく通った。生家も海まで1kmくらいだった。




今は宅急便で週末にゲラ刷りが出るし、週末には血統の原稿も書きながら、いろいろな締め切りに追われ、けっきょく毎日が仕事で、それでは疲れるから、仕事の時間配分はわたしの自由裁量だから、平日の午後や夕方には出かけるという癖が付いて、関東一円ほとんどの名所には行ってみた。27年間、こういう、時代の最前線にいたおかげで、パソコンは20年やっているし、Windows 以前は DOS マニアだったし、通勤しないから家で2時間は相場もできた。

仕事はUNIXが Windows になって、入力がOCR化してからは、第2水準までの機種依存文字でないものの選別をJISの文字コードを見て、選別していればよかった。それが、PCが Vista 以降になると、PCに表示される字形のデザインを国(わたしが秘匿のために敢えて名前を書かない省)が審議会を作って変更したし、文科省が今まで使えなかった第3水準のなかに常用漢字を作ったり、いろいろあったので、文字のデザインの種類と、第3水準のふるい落とし、字形の許容・非許容の区別が、仕事のミソとなった。

それらはIT時代特有の官庁の縦割り行政の弊害の問題もあって、めちゃくちゃ複雑化して、おまけに懐古趣味的になっていて、他の編集者で知っている人に(辞書編集部の人も含め)出会ったことがないし、わたしも教えたくはない。これは苦労して調べ上げた職業上の秘密だが、安易に誤解して、一部を知って得意になっている人がほとんどだ。もちろん、学校で教師が生徒に教えられるはずもないので、国語教育上の大問題なのだが。

今でも仕事のメインは、校閲・校正であって、血統の仕事と両方やってきたが、どちらも手を抜いたことはない。


2017.8.6 法律データベースの校正チームのチーフの仕事が、チームのチーフを、ずっと独りで継続してやったのは33年、校正プロダクションの世界の全仕事の中で、2番目の長さを記録した。

2019.4 法律データベースの仕事は終わり、ほとんどの校正から手を引いていく方向に舵を切った





(井の頭自然文化園)
観光地以外の自然散策者が減る国で、わたしは公園を巡り尽くした。
最高の庭園は浜離宮で、2番は [井の頭公園から文化園・動物園] だと思うが、離宮は良い写真が撮れてない。
日本は、誰も歩きながら空を見上げることすらしなくなった。どこかおかしい。

 すがすがしさや


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金曜に、校正のゲラ刷りが宅急便で来て、校正と、競馬の原稿を書くのと、その両方を金土に1日11時間、日曜に8時間は座りっぱなしで仕事する。

趣味が多く、本を濫読してきたし、小学校の6年から大学卒業まで、フランス語以外は一切勉強を拒否して生きてきたから(高校は赤点だらけで、親と教師が旧制中学の同窓だったせいでか、放校処分となり卒業できた)、編集者としても趣味の多さが重宝された。今でもわたしよりも得意分野や雑学の多い人に出会ったことがない。

わたしの仕事は、不動産屋とかに、しょっちゅう誤解されるけど、役所の決める区分では「派遣」ではありません。「請負い」です。通訳やデザイナーなどと同じ特殊技能者の請負仕事で、ギルド組合のような職人が集まって自分たちが創った編集プロダクション の株主でもあります。


編集の世界では、誰が書いたどのジャンルの原稿でもミスを指摘できなければ仕事にならない。「広辞苑」の誤植を見つけるなんて当然のスキルだ。でも、今や本を読まない編集者が増えてきた時代だから、校閲もネット検索で済ます人が多く、検索結果が間違えている場合もしばしばあるから、間違いが増殖したりしていることに氣付かない人が増えてきている。もはや、日本の文字文化も人材不足になってしまった。


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 名刺
こんなものですが・・・




● わたしが株主でチーフ・ディレクターを やっている 編集プロダクション 主要取引先

マガジンハウス(Hanako、クロワッサン、ブルータス、ほか全誌)、リクルート(週刊住宅情報)、主婦の友社、ダイヤモンド・ビッグ社、祥伝社、電通テック、東急エージェンシー、博報堂、カタログハウス、TKC(法律データベース)、共同印刷、共立印刷、大日本印刷、朝日新聞縮刷版、西友、NHK出版、NTT出版、角川書店、KKベストセラーズ、幻冬舎、風讃社(たまごクラブ、ひよこクラブ)、講談社(週刊現代)、光文社(女性自身)、主婦と生活社(週刊女性)、宣伝会議、宝島社、週刊朝日、中日新聞東京本社(東京新聞、東京中日スポーツ)、日刊スポーツ新聞社、中央公論新社、東京書籍、徳間書店、永岡書店、日経ホーム出版社、扶桑社、プランディット(ベネッセコーポレーション関連教材)、メディアハウス、河合塾、ベネッセ、進研アド、東芝ドキュメンツ、ミサワホーム、労務行政研究所、宝印刷・・・など。

バブルの頃まで、東洋経済新報社(会社四季報、週刊東洋経済、就職四季報、金融ビジネス)、ダイヤモンド社、at home、日本証券新聞社、リクルートタイムズ、ダカーポ、ポパイ、an an、電通、などもやっていた。

こういう世界で多趣味のわたしだけは82種類(2021年までで)の出版物の校正を経験する。この世界で、どこの誰が偉そうなことを言おうと、実際に競争すれば、誰が全種類のスキルの総合デパートとして秀でているか、どうやってもごまかすことのできない世界です。それが、この世界の恐ろしさです。わたしが若くて集中力が今もってあったら、今でも絶対に負けない。

1992年に、創業者が引退や死去し、跡目争いで組織が分裂し、「噂の真相」誌に総会の壇上の殴り合いが載るような内部紛争の大騒ぎとなって、遂に、小規模派閥の東京中日スポーツ一派が、株数が多いことを拠り所にして主導権を握り、センターの良さや、仕事の仕方も新聞以外は知らないために、組織は2つに分裂して、半数以上の職人たちは聚珍社を設立する。

こうして、非社会的で、反権力的で、文化的で、共生的で、忘年会でジョン・レノンのイマジンを歌うような個性的な会社は終わりを告げてしまった。

そうして、仕事の取り合いのためにプライスリーダーから降り、ダンピング競争になって、会社の売り上げは増えるが、構成員の収入は減っていくというバカバカしい時代に突入していった。

こういう天国のようなピンハネ無借金業界の役員になると、細かい神経をすり減らす校正などの仕事をしなくても人の上に立って食えるから、役員になるために、組織が分裂を繰り返して、値引き合戦が始まった。この世界は派遣ではなく通訳やデザイナーと同じく「請負」だが、人材派遣業法ができて、それに近い無機質の組織に変わっていってしまった。たとえば、日本は人口はアメリカの3分の1だが、派遣会社数は5倍もある。労働は日本古来の美徳で、日本には奴隷制も植民地もなかったが、仕事できない人間が、役員やって食べていこうとして、仕事する人を使い始めた。日本は欧米の真似をして変質し悪化したのだ。

わたしの30年以上やった法律データベースの仕事は、無能で人間性もない社長が、見積もりの納期を忘れたか投げ出したか、見積もりを先方に提出せず(この業界でも、どこの業界でもありえない)、クライアント様に叱られ、わたしが催促すると「わかっているわ、忙しいんだ、うるさいんだよ、ガチャン」と電話を切られ、遂に、その長年の安定収入の仕事は切られた。この男も東京中日スポーツ組の乗っ取り屋の一員だった。


もうすぐ、この世界は職人不足と、実質的に“派遣化”していく過程で疲弊して、変質し尽くしてしまうでしょう。分裂を繰り返していったどの会社も、役員やったのは、そのほとんどが、元の組織の、仕事できないけど人の上に立ちたい性質の人たちだけになった。仕事の捌き方や、マニュアルの作り方や、電話のかけ方・切り方も知らない人たちが仕事しているのを見るだけで、ゾッとする。


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わたしの校正経験の主要取引先

レギュラー経験:週刊平凡、週刊住宅情報、日刊スポーツ、
      at home、東洋経済就職四季報女子版、
      週刊東洋経済各誌要員、
      ブルータス夏季ファッション特別号2年、
      練馬区報、国立公文書館NEWS。
チーフ経験:リクルート巻末特集、日刊スポーツ北海道版、
      東洋経済就職四季報女子版、at home、
      TKC判例集・キイワード・法令集など。
      最高裁HP重要判例集、
      初発モノの偵察・特攻隊長経験無数。

職場経験:東洋経済新報社全誌、マガジンハウス社全誌、
     ダイヤモンド社全誌、主婦の友社全誌、東京新聞全紙、
      練馬区報、JR駅ハイ、など82種類の誌紙。

最大校正量:新聞を、6時間で、広告欄なし、で、
      5面半を、2年間の全期間通して、初校で見落としゼロ。
     (日刊スポーツ北海道版夏期:数字と固有名詞だらけで。
      中央競馬2面+道営・ばんえい競馬2面+野球1面
      +風俗0.5面 の突き合わせ校正 & 大刷り素読み)




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※ 校閲のご依頼 は、メールでお願いします。わたしが今みたいに時間がなければ、同業のトップクラスの職人をご紹介いたします。もちろん、紹介料などは必要ありません。

※ 料金 は、出張校正 で昼仕事だと、1日2万5千円前後(内容によります)。夜仕事だと21時までは3割増し、深夜零時までは5割増し、零時過ぎると8割増し、朝3時過ぎると10割増し。自宅校正 だと決め方は多種類ありますが、目安は1日実質6時間仕事で終わらせられる分量で、1日2万5千円前後からです。

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